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より道のコーナー

ヨコハマのドヤ街から
自分を問う作業としてのニッポンの路上  出口綾子

川向こうの町、寿の表情
 2000年を迎える年末年始、横浜では晴れの日が多かった。「これでおめぇ、雨でも降ったら大変よぉ」。67才のドヤ生活者、トンボさんは、炊き出しを手伝いながらそう言った。実態は何も変わらないのに、天気によって町の表情が違って見えるのは、寿町でもどこでも同じだ。
 横浜市中区といえば、本牧、山手などの一等地があり、山下町や元町、中華街は一年中、老若男女でにぎわっている。寿町は、中華街の北門から中村川を挟んで徒歩わずか3分のところにある、大阪の釜ケ崎、東京の山谷に次ぐ、日本で3番目に大きいドヤ街である。人口6500人のうち、60才以上が3分の1を占める高齢化の進んだ町だ。高度成長期には港湾事業をメインに日雇い労働を支えたこの町も、高齢化が進み、職安から仕事に行けるのが一日平均2.5人という現状では、もはや日雇いの町と呼ぶことはできない。今では、若くても何らかの理由で地元を出ざるを得なかった人、精神や身体に障害のある人も流れてくる。
 町を歩いていると、白昼公然とノミ行為が行われている。倒れて頭から血を出している人、炊き出しの長蛇の列に並ぶ人びと、私の顔をジロジロ眺めて通り過ぎる人もいるが、視線をそらさずゆっくりと行動していれば話しかけてくれる人が多い。顔見知りになった人と偶然すれ違ったときは、満面の笑みで挨拶を交わしてくれる。

失業でも人権でも語れない路上
 1999年現在、日本の路上生活者数は厚生省の発表でも2万人を超えたといわれている。この調査結果によれば、東京23区内では、1998年8月からの1年で約1.3倍、横浜市では1.8倍と急激に増えた。民間団体の調査では、大阪府だけで3万人を超えるといわれている。その背景には、不況による失業問題が密接に関係していると報告されている。しかし、失業問題がこんなに深刻になるずっと前から、路上生活を強いられる人はいた。深層はもっと別のところにあるのではないか。
 ドヤや路上の問題を考えるとき、私は「人権」という用語で安易に語りたくない。この絶対的な正義の前で、私たちは路上という現実を直視することをやめ、路上の人びとを生んだこのニッポンの社会を省みることをやめてしまう、そんな気がするからだ。1983年には横浜の山下公園で、1995年には大阪の道頓堀で、中学生や若者による野宿者殺害事件が起きた。現在も、同様の深刻な事件は各地で多数起きている。これらのことに対し、大人や社会全体がなんといえるだろうか。「野宿者にも人権があるから襲ってはいけません」とでもいうのだろうか。結局は「あそこへ行ってはいけません」といって、問題の本質からも野宿者からも遠ざけてしまう学校や親。それがさらなる地域からの追い出しを生む。道頓堀の事件を犯した青年は、幼い頃からてんかんを持病としており、いじめられ続け、社会から追い出しをくらい続けてきたことがわかっている。いわばいじめ、排除の連鎖が事件を生んだとも言える。

異都憧憬
 野宿する人を「ホームレス」ということがある。家がないという意味の「ホームレス」。しかし、彼らは本当に帰る家がないのだろうか。家族も親戚もないのだろうか。
 60才の順子さんは、若い頃から野宿を繰り返し、熊本、釜ケ崎、名古屋、山谷と渡り歩いてきた。横浜には数年前から野宿をしていて、この年明けから寿町のドヤに住むことになった。結婚して娘が3人いたが、酒とギャンブルに明け暮れて家庭を振り返ることのない夫と、娘が成人してから別れ、家を出た。順子さんが一人で各地を転々としていても、娘たちは彼女を引き取ろうとはしなかった。順子さんのほうでも、互いに縁を切りたいと思っているような親子関係の中に戻る気はしなかった。娘たちが今どこにいるかは知っている。しかしもう二度と連絡をとりたくない、と涙ながらに話してくれた。
 いじめや追い出し、人間関係の希薄さが連鎖する日本社会。まずはこの中で、私たちがどのような立場に立っているかを振り返らねばならない。自分の位置がわからないままに、先入観だけで野宿者を排除したり、また「救うべき援助の対象」として見ていても、何も変わらない。順子さんのようなケースは決してめずらしくはない。親が子を捨てる、残された家族も互いに絶縁したいと思う、そんな崩壊した人間関係を身近に知る私にとっては、とても人ごととは思えない。同じことが学校で、職場で、この日本社会のあらゆる場で起きている。
 遠い地で、自分の家族を想う気持ちは、野宿を強いられる者にとって共通の心情だ。短歌を趣味とするトンボさんは、そんな仲間たちの想いを詠んだ。「ふる里に帰りたくても戻れない/仮寝の宿に子らを思いつ」。

自立支援? 社会復帰?
 1月4日。行政機関の仕事始めの日を待って、生活保護の申請のために40人ほどの野宿者に同行して、中福祉事務所に行った。この人たちは、普段は野宿をしていて、年末年始は寿でプレハブ越冬をした人たちである。プレハブ越冬というのは、野宿者のためのドヤ確保が困難であることを理由に、横浜市が寿地区内にドヤの代わりに年末年始だけ臨時に建てる宿泊所である。ここに泊まった人は、越冬期間が終われば再び野宿生活に戻ることを強いられる。そこで、一時的にではなく継続的に生活のための必要最低限な保証が受けられるように、生活保護を受けたいと希望する人たちが申請に行く。生活保護は、高齢であるか、病気をしているか、身体に特別な障害があって仕事に就けない状態の人が「仕事に就く」(行政的には「自立する」)までの期間に「与えられる」(同じく「支援する」)もので、失業を理由にもらうことは現状では難しい。
 私が付き添った山形さん(63)は、じつは数ヵ月前に仕事をしたことがあった。しかし息切れを訴えながらゆっくりと歩く今の彼の姿から、もうとても働ける体ではないと察しがつく。担当のケースワーカーは、記帳してきた通帳のコピーにマーカーを入れ、そのときの収入が仕事によるものかどうかを問いただした。思わず山形さんは「ギャンブルで金が入った」と言ってしまった。数ヵ月前まで仕事ができていたなら、生活保護を頼らず仕事を探せといわれることを恐れたためである。結局その日、彼の生活保護申請は通ったが、彼が今後も受け続けられるかは何の保証もない。
 また別の野宿者(56)は、退院後即野宿をしたが、体が悪くてもできる仕事が欲しいと訴える。行政や社会一般での「自立」が「職業に就くこと」を意味する限り、「働かないものは落伍者」というレッテルが貼られてしまう。そのため、体の悪い野宿者も倒れるまで仕事を探すという状況だ。
 野宿仲間のパトロール活動にも参加する桜田さんはいう。「そういう福祉を受けて日々何とか生きつなぐのと、自分たちの考えに従って何かを作り上げていき、その中で仲間との関係性ができていくという生き方とは、本質的に全く違う」。職には就けないが、仲間のために炊き出しや掃除、パトロールを手伝っている野宿者もいる。そんな、身近な地域社会の中で、人との関係を築いていき、自分の価値を見いだし、生き、生かされていると思えるような実践が、自立支援ではないか。
 以前、初めて寿を訪れた人の中からこんな質問が出たことがあった。「ここに住む人たちは、社会復帰しようという意志があるのですか?」。これに対し、寿生活館の職員であるオリジンは逆に問いかけた。「自分たちを追い出した社会、はじき出した社会に、それほど復帰しなければいけないのか。そこに戻る意味は何なのか。ここがすばらしいとはいわない。でも“復帰”する社会とは、彼らを追い出した、人と人との関係性があまりにも冷たく、薄くなっている社会だろう」

黙ってのたれ死ぬな
 寿越冬闘争のスローガンは「黙ってのたれ死ぬな。生きて奴らにやり返せ」という強烈な一文で始まる。このスローガンが訴える真の意味を考えたい。
 のたれ死ぬとはどういうことだろう。15年間日雇いを経験してきた男性は語ってくれた。「多くの人は、のたれ死ぬということを路上死だと思っている。しかし路上と病院を行き来して結局は病院で死んでしまったとか、ドヤにこもったまま一人寂しく死んでしまったというのも、のたれ死にと言えるだろう。たまたま死んだ場所が路上かどうかが問題なのではない。仲間、友人、家族などの関係性がバラバラになって、孤独の中で死ぬことなんだ。私はそんな寂しく悔しい思いはしたくない。違いばかりが強調され、排除される今の世の中で、私は仲間同士、仲良くやっていきたい」
 では、生きて奴らにやり返すとはどういうことか。このスローガンが生まれた当時の意図はわからない。しかし今、オリジンは「やり返す」ことの意味をこう語る。
 「このことばの字づらだけで暴力的だと非難する前に、まずはこういう表現でしか語れない人生が身近な所に多く存在するのだということに、思いを馳せてほしい。そしてもし、私たちが行政だけを変えて行こうなどと思うなら、それは自分が不在の状態であり、自分を問う作業を怠っている。この社会が自分も含めて作られている以上、のたれ死にを強いる社会を変えるということは、自分も変わっていく、ということになる。この社会を、自分を変えることも含めて、ぬくもりのあるものに変えていく。それが“やり返せ”の意味だろう」
 学校、職場、家族の中のバラバラの関係性が差別や排除を生む。その中で私たちは、被害者でもあり、また加害者でもある。実際はむしろ、加害者が内に持つ闇は重く、その実感はあまりにもみじめなものだ。長い間に築かれてしまった崩壊という環境の中で、自分の中の両者が、身動きが取れなくなってしまうこともあるだろう。一人の人間の中で、すでに両者が葛藤しているのだ。自分を問う作業は痛みを伴う。しかし、ある野宿者の言葉はひとすじの希望を与えてくれた。
 「私たちは、身近なところで差別や排除を体験している。たとえ自分がされる側になってもする側になっても、まずはそこから逃げず、その現実を直視してほしい。そうして初めて、被害者の立場に立てるのではないか」
 自分と向き合いながら、自分を含めた社会を変えていくこと、それなくして、路上だけが変わることはない。


 
 
 
 
 
 
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