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より道のコーナー
軍事国家インドネシアとそれを支える日本   出口綾子

 32年つづいた開発・独裁のスハルト大統領が退陣し(1998年5月)、今年で5年になります。スハルト崩壊で、インドネシアに民主化・改革の時代がきたと言われ、インドネシア内でも国際的にも期待が高まりました。しかし実際は、各地域で紛争が起き、多くの人が犠牲になっていて、この5月からアチェでは軍事作戦が展開されており、スハルトのころよりひどいとも言える状態です。
 アチェや西パプアなど、独立を求める闘い以外に、マルクやカリマンタン、ポソなどで起きた地域紛争は、「民族対立」「宗教対立」とされてきましたが、ほんとうはなぜ起きているのでしょうか。背後には何があるのか、問題の根本は何なのか、日本はどの立場に立ってどのように紛争に荷担し、誰を支えてきたのか、ということが、重要なポイントだと思われます。

●スハルト後の政治
 大統領の政治だけに注目すれば、スハルト後は、副大統領だったハビビが大統領になり、東ティモールでインドネシアの自治下にとどまるか拒否するかを問う住民投票が実施され、つぎのワヒド大統領は、国軍の改革を大胆に手がけ始めたということがもっとも大きな「功績」と言えるでしょう。ワヒドはまた、インドネシア政府が共産党員に対して過ちを犯したと謝罪したり、スハルトが政権を握るために起こしたと言われる65年9月30日事件(共産党および関係者と思わた人たちが殺害された事件。一説には80万人が殺害されたと言われる)後、禁止されていた共産党の活動を解禁しようとしたり、アチェで独立を問う住民投票をするなどと発言したりもしました。
 しかし、ハビビはおもに「東ティモールに独立を与えてしまった責任」を問われ任期をまっとうせずに辞任、ワヒドはあまりにも大胆な改革を試みたために国軍や中央政治家から総すかんを食い、大統領の座からこき下ろされました。ハビビはしょせんスハルトの側近、ワヒドは一部の市民から「最悪のなかの最高」と表されるなど、いずれも良い評価はできません。しかし、まがりなりにも「改革」を試みたが、国軍や守旧派勢力の強い現状ではそれがいかにむずかしいかを物語っているとも言えるでしょう。そして現在のメガワティ大統領は、スハルト下では民主化の旗手のように言われましたが、実際は国軍にとても近く、夫のタウフィック・キマスという人や、これもまた民主化の旗手と言われたが実際は正反対のアミン・ライス国民協議会議長とともに、諸悪の根元のような存在となっています。
 インドネシア国軍は、国防・治安だけでなく政治もてがけ(国会で38議席)、ビジネスもする(国軍所有の財団がたくさんある)という「二重機能」がスハルトのころからずっと問題とされてきました。また、国軍や政治家の汚職・癒着・縁故主義(KKN・カーカーエヌ)がはびこってきました。いずれも、インドネシアの政治を知る上ではキーワードとなりますが、スハルト後もまったく解決されていません。下に紹介する紛争や、これまでの人権侵害事件の真相究明と国軍・関係者の裁判・処罰が、解決のための重要な糸口となります。

●各地紛争と特徴
<日本が荷担しつづけた東ティモール問題>
 東ティモールはインドネシアから独立したという誤認もあるようですが、実際はポルトガルによる被植民地化過程で起きた問題です。国連も東ティモールがインドネシア領であると認めたことは一度もありませんが、75年、インドネシアが東ティモールに侵攻し、軍事占領したときから、インドネシア政府が一方的に27番目の州としました。
 99年、インドネシアによる自治を受け入れるか拒否するかを問う住民投票についての合意は、国連、ポルトガル、インドネシアの三者で協議され、当事者である東ティモール抜きで決められました。その合意では、治安の維持を、これまで軍事占領してきたインドネシア国軍にまかされることが決められていたため、支援者たちの間では投票後世界に報道された国軍・民兵による殺戮の惨劇は事前に予想され、懸念されていました。
 国際社会、とりわけ冷戦期のアメリカは、「インドネシアはアジアの反共の砦である」というスハルトの喧伝に乗り、人権侵害が起きても無視しつづけましたが、それでも約四半世紀にわたる軍事占領の間、国連総会でインドネシアを非難する決議が8回提出されました。しかし、日本はいずれも反対票を投じました。日本は、スハルト軍事体制にとっては最大のスポンサー(ODA=政府開発援助による)でありつづけ、99年の住民投票後のインドネシア国軍・民兵による殺戮が公にされてさえもまだ「対インドネシアODAに変更の予定はない」という立場をとりました。
 また、96年、ベロ司教とラモス・ホルタがノーベル平和賞を受賞した際、橋本首相(当時)はインドネシアに「配慮」し、当人たちには会わないと発言しました。それが独立後はいきなり「平和構築」の名のもとに、手のひらを返すように率先して多額のODAを東ティモールに投じ、自衛隊派遣も実現しました(『我が国の政府開発援助』2000年版にはつぎのようにあります。「我が国は、東チモール問題の平和的な解決はアジア太平洋地域の安定と平和のために極めて重要であるとの認識の下、同問題解決のためできる限りの支援を行う旨表明している。(中略)その後の争乱からの治安回復及び避難民支援、復興開発支援についても様々な面で協力を行ってきている」)。
 東ティモール問題は、アメリカによる軍事援助と日本による経済支援を中心に、国際社会が荷担し、無視しつづけたことによって起きたことと位置づけられます。

<日本の利権がからむアチェ>
 マラッカ海峡という要所に位置し、天然ガスなどの豊富な天然資源を産出する地であるアチェは、86年から9年間、東ティモール、西パプアと同様のDOM(ドム=軍事作戦地域)に指定されました。スハルト後、DOMが解除されても、「治安攪乱分子を掃討する」という名のもとで、依然、多くの一般市民が行方不明となったり、拷問、レイプ、殺害などの人権侵害を受けています。
 アチェで産出される天然ガスはインドネシア国内の需要はまったくなく、ほとんどすべてが日本に輸出されています。日本では、天然ガスは都市ガス以外に発電にも使われており、中部電力、関西電力などが天然ガスのアルン社の大きな取引先となっています。現地では、天然ガス精製工場(北アチェ県)に国軍が駐屯し、まるで工場ではなく軍の施設のようです。なお、拷問センターのなかでももっとも悪名高いランチュン・キャンプは、日本のODAによって建設されたこのアルン社の液化天然ガス精製プラントのなかにあることは、ぜひ覚えておいたほうがいいと思います。(http://www.asiavoice.net/awc/n199910.html#013d)。
 日本がからみ東京で和平会議もおこなわれたアチェの和平については、参加するはずだったアチェ側の交渉担当者が来日直前に逮捕され、破綻におわり、すぐにふたたび軍事戒厳令が敷かれ、現在は新聞などで報道されているとおり、最悪の局面を迎えています。
 インドネシアでもっとも豊かなはずのアチェが、4番目にまずしい地域となっており、まともに生きる権利が剥奪されているので、多くの一般市民が、自由を求め、独立の声を上げています。アチェでの実態を無視して、独立の正否だけを切り離して考えることはできません。

 このほか、インドネシアでの独立の動きとしては、西パプアが挙げられます。ここも、木材、石油、鉱物などの天然資源が豊富な地域で、海外の企業がたくさん入っているところです。2001年、独立運動のリーダー、セイス・エルアイを殺害したのは陸軍特殊部隊であったことがわかっています。

<国軍・政治家の陰謀(マルク)、大規模開発と移住による先住民周縁化(カリマンタン、ポソ)>
 これらの地域(マルク、カリマンタン、ポソ)は、民族や宗教が原因で紛争が起きたとされています。
 マルク諸島は、キリスト教徒とムスリムが拮抗してはいるが、互いに教会をつくるときはムスリムが手伝い、モスクをつくるときはキリスト教徒が手伝うなどし、異教徒間の結婚もふつうにされてきた地域です。また、住民間の小さなもめごとが大きくならないように、住民同士の話合いの場がもうけられるなど、長いこと両者が対立を避けるシステムが伝統的にきちんと機能し、両者はともに暮らしてきました。それが、ある日(99年1月19日)、外部からアンボン島に来た不審者によって突然「宗教紛争」が扇動され、その後数年にわたって周辺の島々に紛争の火種を拡大させました。この紛争では、住民がもっていない武器や弾薬がつかわれるなど、国軍の関与を示すような証拠が出てきました。ジャカルタなどでは、ムスリムを救済するという名目で公然と聖戦部隊が組織・派遣され、彼らの暴挙を国軍や警察が止めなかったため、紛争は一層激化し、インドネシアでも最大の数の避難民を出しました。
 真相は明らかにされていませんが、スハルト後に起きた大規模なこの種の紛争は、スハルト後に議席を減らされたり、警察と分離させられたことで役割を失うのではという危機感のもとで国軍(やプレマン=ならず者)が紛争を起こしてそれを国軍がおさめるという形をとらせた、中央や地方の政治家の利権がからんでいた、などの政治的陰謀説が有力ではないかと思われます。また、紛争が多いということを理由に軍管区を増やせば、予算が多くとれるという点が、国軍にとっては直接的な利益となります。実際、このあとマルクでは軍管区が増やされました。カリマンタン、ポソなどはここでは省略しますが、たとえばカリマンタンでは石油や木材の多くが日本に輸出されています。日本の企業も多く入っています。大々的な開発と移住により、先住民が周縁に追いやられたことが原因と考えられています。
 私たちの便利で豊かな生活は、このような海外の人びとの生存権を奪うことによって支えられていることを忘れてはなりません。


●活動をしながら感じること、今後
<インドネシア統一国家という失敗>
 以前、いっしょに活動をしている人が「インドネシアは、実はまだ独立していないのではないか。それでいま、必死でアチェや西パプアを併合しようとしているのかもしれない」と言ったことがあります。インドネシア政府が代々重視し、日本も配慮し、同調しつづけてきた「インドネシア統一国家」という枠組みは、明らかに失敗しており、そもそも幻想だったのかもしれないと感じられます。そのために、いったいどれだけの命が奪われ、生きる権利が剥奪されてきたのかを考えると、そのような犠牲を強いての「統一国家」は、誰のために、何のために、それほど必要なのかと疑問に思います。

<ふたたび、民族紛争・宗教対立という危険>
 「各地紛争と特徴」の項目で述べたように、インドネシア内で起きている多くの「紛争」は、国際社会、とりわけ日本が荷担し、また日本の私たちの暮らしを支えるための開発が原因となっています。その自覚をヌキに、紛争は民族や宗教のちがいが原因で起きるなど、文化人類学や民族学の対象としてとらえたり、政治的に内政問題化するのは、本質を欠いた論と言えます。これは、ほかの国や地域についても言えることではないかと思います。が、意外と民族などで対立が起きると平気で言ってしまう活動周辺の方に出会うこともあります。また、インドネシアにおいては、伝統的にもめごとを大きくしないシステムが機能してきたことや、国軍の関与を示す証言や証拠などが見つかっているのにそれを無視することはできません。

<和平や紛争後の復興支援>
 東ティモールの項で述べた「紛争後の復興支援」は、この地以外にもアチェ、イラク、アフガニスタン、スリランカなどに自衛隊派遣やODA供与の形で日本が乗り出しているもので、ここでは紙面がありませんが、注意深く見ていく必要があります。


 
 
 
 
 
 
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