からゆきさんと経済進出

清水洋・平川均 著
A5判/344ページ/本体3900円+税
1998年4月/978-4906640126

19世紀後半から1960年代までの日本とシンガポールの関係を、膨大な未刊行史料や外交文書、聞き取りなどにより考察。通説とされてきた「からゆきさん先導型進出」を実証的に再検討する。

目次

序 章 国際中継貿易港シンガポールの台頭と日本の経済進出
 1 イギリスのシンガポール支配とマレー半島への進出
 2 国際中継貿易港としてのシンガポール
 3 日本の対シンガポール進出
 4 本書の構成

第1章 からゆきさんと日本の対シンガポール経済進出
 はじめに
  1 「からゆきさん」とは?
  2 日本人売春業の「発展」
  3 日本人売春業の衰退・廃娼
  4 からゆきさんと経済効果
 おわりに

第2章 日本─英領マラヤ間貿易の拡張──シンガポールを中心として
 はじめに
  1 華商と日本の対英領マラヤ貿易の発展
  2 第一次世界対戦期および一九二〇年代の日本-英領マラヤ間貿易
  3 一九三〇年代の日本の貿易拡張
 おわりに

第3章 シンガポールにおける日本人漁業
  はじめに
  1 日本人漁業の台頭と発展
  2 世界大恐慌と大昌公司の優位確立
  3 日本人漁業の衰退
  おわりに

第4章 「昭南」と日本の経済進出
  はじめに
  1 太平洋戦争開戦とシンガポールの日本人
  2 日本軍政と通貨・金融政策
  3 日本企業の経済活動
  4 からゆきさん、日本料亭、従軍慰安所
  おわりに

第5章 戦後「空白期」における日本の経済回復
  はじめに
  1 東南アジア回帰をめぐる国際的背景
  2 日本の東南アジア経済回帰とシンガポール
  3 一九五〇年代の日本企業の進出とその構造
 おわりに

第6章 「血債」問題と日本の経済進出
 はじめに
  1 対日賠償問題と日系企業への規制
  2 シンガポールにおける政府主導型輸入代替工業化政策の展開
  3 一九六〇年代前半の日本企業の対シンガポール投資
 おわりに

終 章 日本─シンガポール経済関係の視角と課題
 1 日本─シンガポール関係史のとらえ方
 2 本書のまとめ
 3 今後の課題

書評

書評オープン


 シンガポールと日本は密接な経済関係を持ち、観光客も頻繁に訪れているが、両国の歴史的関係を本格的に扱った研究は意外に少ない。「序章」で述べられているように、「本書の主題とするテーマは、これまでの研究が比較的あるいはまったく手つかずだった領域を扱っている」。すなわち、戦前期については、これまで「特定テーマを個別にとりあげた成果」が多かったのに対して、本書では他の分野も多面的に考察され、日本占領期についてはこれまで大半が「政治・軍事・文化・社会史的視点からの分析を行い、戦後マレーシアからの分離・独立までの時期については、これまで「空白期」とされていたのに対して新たな事実を提示している。
著者によれば、からゆきさんの進出とほぼ同時に、在日華商の対マラヤ貿易が始まり、日本の工業化とともにその製品輸出を拡大し、第一次大戦後に日系商社やインド商・ヨーロッパ商が増加したあとも重要な役割を担っていたという。とくに、欧米に独占されていた工業製品市場に、アジア系商人によって日本製品が輸入されていたことが、欧米とアジアの「共生」関係を変化させ、第二次大戦後へつながる要素もあるとされる。また、従来の研究が華僑と日本人商人との「敵対」関係を強調していたのに対し、「敵対」と「共生」が共存していたのが実態だと主張されている。
終章「日本-シンガポール経済関係の視角と課題」では、本書の視角が再確認されている。その中から、とくに通説批判に関する論点を抜き出してみれば、第1に「日本人の南方進出」という視点への偏りを批判し、華僑や印僑によるアジア内交易ネットワークを重視したこと、第2に「からゆきさん」に偏った通説に対して、他の多様なルートに注目したこと、そして第3に「賠償」と戦後日本のアジア回帰を結びつける通説に対して、50年代が「空白期」でないことを明らかにしたこと、以上の3点であろう。
第1、第2の批判については評者にも納得がいったが、第3の批判は若干の留保を要する。たしかに、本書の指摘によって50年代の「空白期」は比定され、自治政府による日本企業への期待も明らかになった。民衆の心情はともかく、自治政府の対日観は50年代の台湾や60年代の韓国と共通する面を持ち、まさにNIES的な特徴を表わしている。しかし、それは賠償を放棄した宗主国イギリスと、NIES的発想を持つリー・クアンユーのくみあわせがもたらした結果である。そのことを以て、戦後日本の東南アジア回帰(シンガポール回帰ではない)における賠償の重要性を否定できるのだろうか。むしろシンガポールが、東南アジアの中で例外だと考えた方がよいのではないか。
このような疑問は残るが、そうした議論を呼び覚ました著者たちの問題提起は刺激的である。もちろん問題提起だけでなく、史料の発掘やオーラル・ヒストリーの活用など、実証面でも手堅い成果をあげた好著だといえる。

『社会経済史学』Vol.66(No.1 2000)